ちょっと一息(´д`)
といっても今日の一息というよりは、ここ2-3年分のどたばた。昨年の一件(いつも読んでくださってる方は想像つくことでしょう)以来、ほんっといろんなことで今の仕事について疑問符みたいなことがいろいろでてきました。
確かに、いまでも延々社内用プログラムの製作はしていますし、ソースコードのメンテナンンスも数ヶ月の間になんどもしないといけないのです。でも、入社当初のようなまったくZEROから(それこそ自作PC鯖やクライアントから設計してきた)導入してきたこと考えると、達成感はもちろん減少しています。やっぱ、同じことの繰り返しがおおいですからね。
そして、この一年でいろんな形である種の踏ん切りみたいなものもでてきて、月曜日過去ウィンでフレと雑談していたような事を、来年春ぐらいを目処にどんどんすすめようかな~とか思い始めています。
具体的には
「もっとゲーム開発の現場で開発にかかわりたい!」といったところです。
確かに、高校生の頃から複数のソフトハウスに所属して、いろんなプログラムを作ってきました。Z80/8086/6502のマシン語手始め、初期のアセンブラ(マクロなし)にBASICから、いままでどれだけのコンピュータ言語を渡り歩いてきたか・・・ そういえば、C/C++をとりあつかったプログラムを組み始めたのはMSDOS 3.30Cぐらいからで、本格的にWindowsプログラミングし始めたのはWindows 2.11/386(NEC PC98用)だっけなぁ。
もちろん、1990年代前後のソフトハウスっていうと、資本も小さく、プログラマーなんかも知人の紹介とかで入れ替わり立ち替わり、バイト状態のことがおおかったな~。規模が小さく、特定用途(例:不正コピー防止処理用プログラムや関連システム設計等)なんかは、特に一発仕事でしたね。今みたいに、特定の大企業が生産(マスタリング込)時に施すようなことも、ロットが少なかったせいか、小さなソフトハウスではあまりなかったように記憶しています。
アメリカ留学時代に、Mac OS用ソフト開発にかかわろうかとおもった矢先に「Apple社から留学生は割引対象外」とかいわたあげく、Mac OS 用のSymantec Cを買ってきた友人がいたので触らせてもらうと、ほとんどのAPIは非公開。ろくにアプリケーションと呼べるものがつくれなかったyp! (ファイル名をGUIからもらうことすらTOOL BOXとかいうものつかわないとダメだった
まぁ、そんなこんなで、結局これが原因でDOS/Windowsに逆戻り。留学初期の頃、寮に電話が引けるとなって、モデムをもちこんでネットワーク接続開始。I/O DataさんのBBSやAlice SoftさんのBBSなんかによくでいりしてたな~ そしてUNIT BASE通じてオフ会とかもしたっけ・・・ (国際電話でBBSしてたから電話料金すごいことになったがw)
いろいろアプリケーション開発したり、大学内での研究開発通じておちついたのがWindows。ホストファミリーにも恵まれて、HPやIntelさんへ社内見学させてもらったり、MCI社を見学させてもらったり、州軍のオフィスみせてもらったり・・・w コンピュータがどのように使われているとか、いろいろ紹介してもらったなぁ。